プロフィール

初めまして!
南カリフォリニア•サンディエゴから、近すぎて見えにくいあなたの真の魅力を視覚化して、魂の喜ぶ、心地よい生き方のお手伝いをする田中恭子です


私はその昔、自分が嫌いで、自分ほど不幸で惨めな人生はない、と思っていたことがあります。


20歳の時は、幸せで経済的に自立した生き方をしたい、と思っていたのもつかの間、21歳で結婚をしてカタコトすら話せない英語力で国際結婚、アメリカに住むことになりました。


いつも先回りで準備周到、キャリアを積んだ自信あるれる女性には程遠い、始終夫に頼らなければならない、右の左もわからない国での1からのスタートではサバイバルがやっと。キャリアどころではありませんでした。


自分はなんで日本を離れたのか、何ができるのか、何をしたいのか、自分に価値はあるのか、どう生きたいのか、どう生きれるのか、と、俯瞰しながら友達一人ない異国の地で考え、悩み、あがいて、不安と自己嫌悪の日々を送っていた時期もありました。


まずは、言葉をなんとかしたいと思うと、日本人の多い英会話学校に通うより、現地に溶け込みながら英語を習得する方が良いという夫のアドバイスで、結婚前までやっていてアシスタント•アートディレクターの経験をいかせるグラフィックデザイナーのボランティアアシスタントを始め、まだコンピューターのない手作業の時代、1から全てを学び直しました。言葉のコミュニケーションがままならないのなら、ビジュアルコミュニケーションを通してなんとかアメリカ社会に根を下ろしたい、と考えたのです。


そこから、かれこれ20数年。シカゴでの修行時代から、ニューヨークではSOHOのデザインスタジオでの採用が決まった時は、自由の女神に叫びたくなるほど嬉しくて仕方ありませんでした。




でも、それも束の間、仕事場では競争と締め切りのプレッシャーで押しつぶされるような思いで日々を送りながらも、順調にやっていたと思っていた二つ目の職場、広告代理店で解雇を言い渡された時のショックと言ったらありません。


丁度そんな時に妊娠がわかり、そのタイミングで夫の仕事がマサチューセッツの大学に移転となり、私の生活も再度一変していくのです。


長女は予定より2ヶ月早く生まれた上に、生後10日目の手術、その後も4ヶ月半の入院が続き、退院後もセラピーと医者通いに明け暮れる日々でした。その時の私は、子供が生まれてきてくれた喜びよりも、いつ失ってしまうのか、という恐怖と、母としての罪悪感しか感じることがでいない日々でした。


それでも、なぜか私は再びコンピューターでのグラフィックデザインのクラスと取り始め、大学に戻り、自分ができることは何なのか、ということを追い求めていたようです。


その後、サンディエゴに引っ越し、グラフィックデザイナーとして独立し、人づて一つなく、体当たりでクライアントを増やしていきました。


とは言っても、子育ての最中でしたから、もう少し頑張れるかな、と思ってみるものの
、”やら、子育てだ、やら、家族が一番” と言っては、難しいチャレンジには足を踏み入れないようにしていたような気がしています。


そして、また自分は何をやっているんだ、何をしたいのだ、と悩み始めたのが、50歳を目の前にした時でした。


そのタイミングで、2011年の震災が起き、私の頭に浮かんだことは
、人に最後に残されるものは、自分自身でしかない、ということでした。


そこから、人と心で繋がることをしたい、と思い始めたのです。


しかし、それには、まず自分自身としっかり繋がることが必要でした。
私にその手助けをしてくれたのは、オーラソーマだったのです。



ふと手にした一冊の本が、私を色と人の”human"つまりは、” hue + man”の世界に導いていってくれました。わたしは、プラクティショナーとなりセッションを施すようになりました。


私にはもう一つの大きな課題、いや、壁がありました。



それは、学校でいじめにあったり、心身にいろいろなチャレンジを持つ娘に幸せになってもらうための処方箋を探し当てることでした。


それは、未熟児として産んでしまった母としての責任であり、役割だと信じていたのです。


私は、長い間娘のために探して、試して、行っているのだ、と思い込み、いつしか”こんなにやっているのに”という、親としては、あってはならない押し付けがましい気持ちが湧いていたようです。



愛しているのに、どうして好きでない時があったり、全く価値観が違ったり、と
娘が最も難しいクライアントであり、チャレンジでもありました。


でも、わかったのです。


娘が、私を育ててくれているのだ、ということを。


私は、ただ彼女を信じていればいいのだ、ということを。



私は、私を信じて、私を生きて。


その姿を、子供達がきっと見ているはずだから。






親は、幾つになっても親。


形は変わったとしても、子を愛する気持ちは変わらないと思います。


いえ、形は変えていくものです。


だって、何よりも、子供達が私たち親を育ててくれているわけなのですから。


だからこそ、もう何のいいわけも無く、自分の心地よい生き方をしながら


昨日の自分より進歩できる今日の自分がいるように、自分ができることを徹底的にやっていきたいと思うのです。


グラフィックデザインとオーラソーマと母親業。
一見、何の共通点もないように思えるこの3つの私の経験は、私にしかないユニークな経験であり
、これらの経験無しでは今の私はあり得ないわけです。


そして、これまでの学びが総結した形で、「数秘ソウルカラー©️」と「49の質問」が生まれました。





自分の外側を見る人は、夢を見ているだけだ。
自分の内側を見る時、人は初めて目覚めるのだ。
 

                       -カール・ユング(スイスの精神医学者・心理学者、1875~1961)



夢は見るものではありません。叶えるものです。



まずは、自分に目覚め、どんなソウルビジョンを自分が持っているのかは、自分の内側をしっかり見つめます。


そして、自己実現を叶えていくのだと思っています。

2018年、2月2日。私は、セドナにいました。地球の子宮といわれる、Birthing Caveに訪れたのです。

前年は、足をサボテンに刺されて行けず、今年ももう少しで行きそびれるところでした。が、今年は行くべきことがおきました。「49の質問」が、再生される、というミラクルが起きました。まさに、Rebirthが起こったのです。新たなる”目覚め”となりました。その経験から、友人がヒントをくれ、「しきゅう-49-のしつもん©️」と名前がつきました。


私の数秘は、22。オーラソーマのボトルの22番は、「目覚め」Awaking! タロットでは、「愚者」のカードです。

私もいよいよ愚者のごとく、人生を自分らしく楽しむ時がきたようです!


March, 2018